信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第5回】「「困った子」への視点を変える 学びの場で輝きを取り戻す」

【連載「コンパス」第5回】

「「困った子」への視点を変える 学びの場で輝きを取り戻す」

 

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「敏感で繊細な感受性の強い子ども」(HSC)は、「敏感」 だから困る存在なのではなく、「繊細」 だからこそ集団にとって必要とされる存在なのである。

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2021年3月10日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第5回目の連載原稿を寄稿しました。

 

 アメリカの心理学者エイレン・N・ アーロンが提唱した心理学的概念である「 敏感で繊細な感受性の強い子ども」HSC(Highly Sensitice Child)。

 

私たちは、頭の中では「子どもは多様である」と理解していても、 子どもの育ちに関して「高いハードルを課し、 それを乗り越えることで成長していく」と、 あまりにも短絡的に捉えてきたきらいがありますが、 否定的に捉えられがちな気質は、 視点を変えることで優れた個性として輝きを取り戻します。私たちは自分にとって不都合な真実を騒音・雑音として遮断・ 捨象し、 条件反射的に世界を白か黒かの単色に描こうとする衝動に常に駆ら れています。ところが、異質な他者は、 そんな私たちの無味乾燥な認識枠組みに「いろどり」と「 うるおい」を与え、物事の本質に向き合わせてくれます。 子どもを「思い通りに育てられる」 という全能感ほど危ういものはありません。 ペナルティー主義が跋扈する学校は子どもの「ストレス源」 となり、自己肯定感をじわりじわり剝ぎ取っていきます。 これに対して、誰にとっても心地よい空間を実現できるのは、 実はセンシティブでフレキシブルな学校です。メガネを変えれば、 視界が変わります。見方を変えれば、景色だけでなく、世界観も変わります。 何かと慌ただしい年度末にこそ、「まなざし」 というメガネを変えてみて、 自分自身の子ども観のあり方を問い直そう、という内容です。 関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

 

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 HSC(Highly Sensitive Child)という言葉をご存じだろうか。 アメリカの心理学者エイレン・N・ アーロンが提唱した心理学的概念で、「 敏感で繊細な感受性の強い子ども」を指す。 生まれつき備わった気質で、障害や病気の名前ではない。 世界の約5人に1人が該当するとされ、日本のクラスでも5、 6人いる計算となる。そして、 HSCが不登校になる場合も少なくないという。

 

 

 事実、HSCは感受性が強いため、他者の感情・表情に動揺し、 疲れやすい。刺激(音・光・味・におい・温度変化・空腹感など) に反応しやすく、 生活環境や人間関係から生じるストレス反応によって不適応を起こ しやすい。過度な期待に不安を感じ、自己肯定感を保ちにくい。 非常に傷つきやすく、生きづらい。

 

 この特徴は気質であるため大人になっても変わらないが、 わがままな子、やる気のない子と捉えては早計である。「敏感さ」 は欠点であるどころか稀有な能力なのであり、「 敏感で繊細な感受性の強い子ども」は、「敏感」 だから困る存在なのではなく、「繊細」 だからこそ集団にとって必要とされる存在なのである。

 

 

 ここで「まなざし」というメガネを変えてみよう。 豊かな感性や創造力に富むHSCは、 協働的な学びの場で輝きを放つ。人権感覚と責任感を持ちながら、 調和的な秩序を重視するだけでなく、状況を深く観察し、 物事を慎重かつ誠実に判断できる。また、 強い感受性に支えられた共感力を生かして、 他者の気持ちをくみ取り、思いやりを持って接することができる。 このコミュニケーション能力は、 AI時代に求められる資質能力の最たる例である。

 

 

 私たちは、子どもの育ちを「高いハードルを課し、 それを乗り越えることで成長していく」 というふうに単純に捉えてきた節がある。ところが、 改めて言うまでもなく、人間は本質的に一人一人異なる。 否定的に捉えられがちな気質も、 視点を変えることで輝きを取り戻す。子どもを「 思い通りに育てられる」という全能感ほど危ういものはなく、 ペナルティー主義が跋扈(ばっこ)する学校は子どもの「 ストレス源」となり、自己肯定感をじわりじわり剝ぎ取っていく。 他方、誰にとっても心地よい空間を実現できるのは、 実はセンシティブでフレキシブルな学校なのである。

 

 多様な子どもを「困った子」ではなく「困っている子」 として捉え、どのように環境を整えていけるか。 指導観や教育観の前に、子ども観のあり方が問われている。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)

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