【連載「コンパス」第6回】
「「幸福な成長」と裏腹の理不尽さ PTA 改革は「違和感」から」
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現状(の理不尽さ)を生み出しているのは、「当たり前」 という先入観、「普通」という思い込み、「みんなそうだから」 という横並び主義、「今までもそうだったから」 という前例踏襲主義の感覚である。ただ、翻れば、 改革のきっかけは、あなたの、私の、私たちの「違和感」にあり、 その感覚は、学校・地域のあり方を問い直し、 居心地のよい空間を共に創造する機運ともなる。
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2021年4月14日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第6回目の連載原稿を寄稿しました。
禅の言葉に、 自分自身が作り上げた固定概念で無意識に自らを縛ってしまうこと を戒める「無縄自縛」(むじょうじばく)という言葉があります。 コロナ禍の今をピンチと捉え「事なかれ主義」に陥るのか、 多様な家族のあり方を尊重しながら、 生き生きとエネルギッシュな活動を展望すべく試行錯誤を繰り返す か。前者の姿勢は、未来社会を担う子どもにとって「不良債権」 となる可能性が高く、目に見えない同調圧力に屈していては、 目の前の子どもだけでなく、未来の子どもも浮かばれません。「 学び」の充実のためには、今を維持する「現在志向」だけでなく、 未来の価値を生み出すために働きかける「未来志向」 の2つの視点が重要です。
では、 私たち大人は子どもの環境整備のために何をすべきでしょうか。 コロナ禍の大人の一挙手一投足は「記録」に残らずとも子どもの「 記憶」に刻まれます。新年度の今こそ、PTAの「あり方改革」 の一歩を、私たち保護者から踏み出せないものでしょうか、 という内容です。関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。
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「「幸福な成長」と裏腹の理不尽さ PTA 改革は「違和感」から」
知らないうちに、加入している。やりたくないのに、やらされる。 プライベートな事情の告白を強いられる。 男女の区別によって担う役職が固定化されている。 旧態依然の会合にげんなりし、途方に暮れる。 徒労感は家庭にまで侵蝕し、家族の食事を準備する手も止まる。 そして、子どもの問いかけにも上の空で応答。この理不尽さは「 苦行」として耐え忍ぶしかないのか。
この情景は何か。
そう、法的に強制・ 自動加入されないはずのPTA活動の一コマである。
米国発のPTAは、 戦後改革の教育民主化の理念と戦前の保護者組織が合流して日本に 導入された。「父母と教員とが協力して、 家庭と学校と社会における児童・青少年の幸福な成長をはかる」 ため、学校・ 地域の全ての子どもを支える活動に戦後の日本人は希望の光を見た 。では、憲法第21条(結社の自由)に裏付けられた「任意加入」 を前提とする運営は図られているだろうか。 違憲状態に見てみぬふりをしていないか。
PTA活動は、登下校の見守り、広報誌発行、講演・研修会・ バザー開催、廃品・ベルマーク回収、清掃・ 緑化活動とその範囲は広い。ある地域の会長は、 子どもを学童クラブに預けて行事に参加し、 家族の団欒は毎月一日とれるかどうかが常態化、 会合は年200日を超える。子どもの「幸福な成長」 という崇高な目的と裏腹に、 子育て世代の貴重な家族時間が失われる姿は悲劇である。
他方、教職員・地域との役割分担、活動の精選、会費の見直し、 任意登録制の導入、住民や祖父母・ 子どもも含めた新組織の発足など、 コロナ禍を逆手に取った改革例は多い。
多様な家族のあり方を尊重した上でイキイキと活動を展開するか。 同調圧力に屈して「事なかれ主義」に陥るか。 思考停止に陥った現状維持の姿勢は、次世代の子どもにとって「 不良債権」となる可能性が高い。
現状(の理不尽さ)を生み出しているのは、「当たり前」 という先入観、「普通」という思い込み、「みんなそうだから」 という横並び主義、「今までもそうだったから」 という前例踏襲主義の感覚である。ただ、翻れば、 改革のきっかけは、あなたの、私の、私たちの「違和感」にあり、 その感覚は、学校・地域のあり方を問い直し、 居心地のよい空間を共に創造する機運ともなる。
コロナ禍の大人の一挙手一投足は「記録」に残らずとも子どもの「 記憶」に刻まれる。新年度の今こそ、PTAの「あり方改革」 の一歩を、私たち保護者から踏み出せないか。
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