【連載「コンパス」第41回】「学校で「好き」「楽しい」「なぜ」を追求 個性「発揮」できる学びを」
みんなと同じタイミングで、同じことを、同じように「楽しめない」子もいる。当たり前である。同じ子など、いないのだから。だからこそ、異質な他者と共に学んでいく学びの空間づくりは、本質的に難しいのである。
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2024年12月14日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第41回目の連載原稿を寄稿しました。
今回のテーマは「楽しい」です。
関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。
--------------------------------------【連載「コンパス」第41回】「学校で「好き」「楽しい」「なぜ」を追求 個性「発揮」できる学びを」
子どもの貧困解消に取り組む公益財団法人「あすのば」(東京)が入学支援金・給付金を受給した生活保護世帯や住民税非課税世帯等に実施した調査の結果によれば、子どもの約9割が「(学校は)全然楽しくない」、また小学生では2割、中学生では4割が「授業がわからない」と回答していた。
この調査結果を、困窮家庭の子どもは授業の理解度が低く、楽しい学校生活を送れていないことを世に訴えかけるものと受け止めるだけでは、事の本質を見誤る。改めて、全ての子どもにとって、学校の何が「楽しくない」のかを考えてみることも重要ではなかろうか。
「楽しい/楽しくない」の基準は、個人によって異なる。また、発達段階によって、時期によって、場や空間によって、そして場を共にする他者との関係性によって、その基準も変化する。例えば「学び」の楽しさに限定しただけでも、努力によって得られた成果・結果から達成感を感じた時に「楽しい」と感じる子もいれば、知らなかったことやわからなかったことのメカニズムや本質を理解し応用できた時に「楽しい」と感じる子もいる。また、自分の思いや考えを自分なりの方法で思う存分表現できた時、自分の存在が誰かの役に立っていると感じた時、誰かと一緒に何かをやり遂げた時に「楽しさ」を感じる子もいるだろう。他方、みんなと同じタイミングで、同じことを、同じように「楽しめない」子もいる。当たり前である。同じ子など、いないのだから。だからこそ、異質な他者と共に学んでいく学びの空間づくりは、本質的に難しいのである。
県教育委員会は、「好き」「楽しい」「なぜ」をとことん追求するために、自ら学び方を選択でき、自己実現できる学校として、「ウェルビーイング実践校TOCO-TON(トコトン)」を指定した。「トコトン」は、第4次教育振興基本計画で「個人と社会のウェルビーイングの実現」をうたい「探究県」の看板を掲げる県にとって、学校改革の成否を占う試金石の一つともなり得る。学校づくり自体に子ども・保護者・地域住民等も積極的に関わっていくことが想定されているが、私たちに求められているのは「傍観者」として静観することではない。「誰かの学校」を「私たちの学校」へと転化させ、オーナーシップを醸成していくためには「当事者」として関わることが不可欠となろう。
人生は、楽しいことばかりではない。しかし、「学ぶ」ことが「楽しい」と感じる場面にどれくらい出あえてきたかは、後に続く人生の豊かさを感じる感度にも影響を与えるはずである。
自分の個性を「我慢」する学びから「発揮」できる学びへ。「学び」の中に「楽しい」という至高の価値を取り戻していけるか。学校内外を問わず、全ての教育関係者に課された2025年の宿題である。この宿題は、「楽しい」か。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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