信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第1回】「新型コロナ下での教育の在り方 試される『学び続ける教師像』」

【連載「コンパス」第1回】

「新型コロナ下での教育の在り方 試される『学び続ける教師像』」

 

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 教育行政の意思決定や学校現場の試行錯誤がブラックボックス化されていては、学校不信や社会不信の蔓延は防げない。 リスクを取りながら奮闘する教育関係者のモチベーションをどのように維持できるか、教育行政の見識が改めて問われている。今、 一番恐れるべきことは、私たちに投げかけられている「問い」 に向き合わずに、「思考停止」に陥ることである。

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 2020年10月14日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第1回目の連載原稿を寄稿しました。

 

 今回のテーマは、「学び続ける教師像」です。関心・ 興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

 

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「新型コロナ下での教育の在り方 試される『学び続ける教師像』」

 

 緊急事態宣言が全国に出された4月16日から半年が経過した。 COVID―19の感染拡大に伴う休校の長期化や外出自粛は、 子どもたちにさまざまな不安を与えた。ここでの不安とは、 こころの不安、からだの不安、おかねの不安、人間関係の不安、 そして、学びの不安と枚挙にいとまがない。そして、 この不安を一身に受け止めている保護者の苦労は想像に難くない。

 

 

 今、一番恐れるべきことは、私たちに投げかけられている「問い」 に向き合わずに、「思考停止」に陥ることである。

 


 例えば、全国を駆け巡る「♯学びを止めるな」のスローガン。 このスローガンが問いかけているのは、実のところ、 学びの継続性よりも「これまで」 の学びは妥当だったのかという本質的問いである。 私たちはこれまで適切な学びの機会を子どもたちに十分保障してき たのだろうか。「止めるな」とされる学びは、「従来」の学び( のスタイル)でいいのだろうか。

 


 さらに、学校再開後の教育関係者の脳裏に常につきまとう「 取り戻さなくてはならない」という強迫観念にも似た焦り。 しかし、取り戻す対象を学習の「遅れ」と矮小化しては、 日本の学校教育が果たしてきた役割を問い直す機会を逸することに なる。この半年で「取り戻す」べきだったものとは、 子どもと共に紡いできた「心理的安全性」( psychological safety)だったはずである。学習の「進度」 は様々な工夫でいずれ取り戻せる。他方で、 他者と共に学ぶといった姿勢や意欲は、 一過性のコミュニケーションでは取り戻せない。今後は、学びの「 進度」(進み具合)だけでなく、学びの「深度」( 深まりや広がり)への対応こそが必要となる。

 


 ところで、コミュニケーションの語源はラテン語の「コムニス」( communis)である。その意味するところは、 情報の伝達だけでなく、話し手と聞き手の間に「感情」 が共有されることにある。では、休校中に、 誰が何を伝えようとし、誰に何が伝わったのか。 学校や教育委員会は、プリントやメール等を通じて、 いかなるメッセージを伝えようとしただろうか。 子どもたちや保護者の不安に寄り添い、 安心感を与えることはできただろうか。

 


 教育行政の意思決定や学校現場の試行錯誤がブラックボックス化さ れていては、学校不信や社会不信の蔓延は防げない。 リスクを取りながら奮闘する教育関係者のモチベーションをどのよ うに維持できるか、教育行政の見識が改めて問われている。 COVID―19は私たちに何を問いかけているのか。 向き合い続け、問い続けなければならない。これは「 学び続ける教師像」への挑戦状なのである。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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