信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第30回】「異なる価値観への向き合い方─「ちがい」は「まちがい」か」  

【連載「コンパス」第30回】「異なる価値観への向き合い方─「ちがい」は「まちがい」か」
 
 大人の私たちは、えてして、自分の価値認識の枠組さえも無自覚に、子どもに強制してしまう。その大人の振る舞いから子どもが学ぶのは、矯正の作法か、共生の作法か。
 
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 2023年10月21日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第30回目の連載原稿を寄稿しました。

 今回のテーマは、「ちがい」です。
 大人の私たちは、えてして、自分の価値認識の枠組さえも無自覚に、子どもに強制してしまいます。その大人の振る舞いから子どもが学ぶのは、矯正の作法か、共生の作法か。愚問です。わたしとあなたの物事に対する捉え方の「ちがい」。その「ちがい」が存在することは、決して「まちがい」ではないはずです。
 自分と異なる価値観を有する他者に、私たちはどこまで寛容に向き合うことができるか。社会問題を作り出しているのは、果たして子どもなのか。私たち大人のまなざしや姿勢に責任はないのか。自覚的に問い直していく必要があります。
 
 関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

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「異なる価値観への向き合い方─「ちがい」は「まちがい」か


 首相の諮問機関である子ども家庭審議会が「こどもの居場所づくりに関する指針」の答申素案を示した。当該審議会は地域のつながりの希薄化、少子化に伴うこども・若者同士の育ち合いや学び合いの機会の減少を踏まえて、居場所を意図的に創造していくための議論を重ねてきた。そこでは、学校、塾、習い事、児童館、子ども食堂のほか、遊びや体験活動、オンライン空間も居場所に含めるに至っている。居場所は、もはや、あらかじめ「ある」ものではなくなっているのである。


 他方、こんな声も漏れ聞こえる。「オンライン空間は子どもの居場所にすべきでない。生身の人間と直接コミュニケーションをとることに意味がある。これでは人間関係の希薄化が加速
する。」


 人は、自分が当然視する物事に対しては共感的に受け止めることが多いのに対し、自身が経験したことのない事柄には、条件反射的にリスクを高く見積り、警戒感を高めがちである。


 しかし、捉え方を変えてみたらどうか。例えば居場所には、他者との関わりを通じて自分を確認できる「社会的居場所」もあれば、他者との関わりを一時的に遮断することで自分を取り戻せる「個人的居場所」もある。自分という唯一無二の存在を肯定できる居場所の射程は、場所・時間・人との関係性、その全てに拡張し得る。もちろんこのことは伴走者が不要であることを意味しない。居場所は共存/孤立の概念と通底している。


 こう捉えると「オンライン空間」といえども、その子にとっては物理的空間以上に、自分の存在を確認でき、自分が、いま、その空間で確かに生きているという実感につながっていることだってあり得る。従って、大人が頭ごなしにその空間を否定することは、子どもの「居たい」「行きたい」「やってみたい」といった「主体性」をささやかに支える情動やその感覚、感性をも踏み躙る行為にもなりかねない。


 わたしとあなたの物事に対する捉え方の「ちがい」。その「ちがい」が存在することは、決して「まちがい」ではないはずである。


 大人の私たちは、えてして、自分の価値認識の枠組さえも無自覚に、子どもに強制してしまう。その大人の振る舞いから子どもが学ぶのは、矯正の作法か、共生の作法か。愚問であろう。


 自分と異なる価値観を有する他者に、私たちはどこまで寛容に向き合うことができるか。社会問題を作り出しているのは、果たして子どもなのか。私たち大人のまなざしや姿勢に責任はないのか。「安全で安心して過ごせる」居場所を「全ての子ども」に保障していく作業は、「こどもまんなか社会」の実現に向けた試金石の一つである。注視されたい。
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