信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第7回】「「日本社会で生きる『伴走者』 不可欠」」

【連載「コンパス」第7回】

「「日本社会で生きる『伴走者』 不可欠」」

 

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言葉は「育つ」ものではなく、「育てる」ものなのである。

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 2021年5月26日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第7回目の連載原稿を寄稿しました。

 


今回のテーマは、「外国由来の子どもに対するケア」です。 マラソンコースの全体像や給水所の位置を知らせ安全に競技が行え るようケアする視覚障害ランナーの伴走者のように、 日本社会を生きるという耐久レースの「伴走者」 の存在が必要です。 マイノリティに配慮した社会を構想する過程は、 自分自身の寛容さや傲慢さ、人権感覚を問う営みとも連なります。 「共に生きる」を考える教材は、生活の中にこそあります。関心・ 興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

 

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「日本社会で生きる『伴走者』不可欠」

 

 楽しくおしゃべりできても、授業についていけない子どもたち。

 


 文科省調査によれば、日本語指導が必要な児童生徒は約5万人で、 過去最多となった。

 


 日本では外国籍の者に就学義務を課していないが、 内外人平等待遇の原則により希望者には授業料不徴収や教科書無償 給与など、日本人と同等の対応がなされる。 また通級指導や取り出し指導という方法で、 在籍学級での指導以外に「特別の教育課程」 による日本語指導や教科の補習等も行われている。しかし、 母国語未確立の段階で、外国での生活経験を生かし、 日本の学校生活への適応を図ることは至難の技である。

 

外国由来の子どもの育ちはアイデンティティーをめぐる葛藤の連続 であるが、日本語との付き合いは不可避となる。 立ちはだかる壁は、「生活言語」もさることながら「学習言語」 の習得にある。生活言語とは、 表情やジェスチャーなど文脈依存度が高い「生きるための言葉」 を、学習言語とは、 授業内容やテスト問題における指示文の理解など「 学ぶための言葉」を指す。家庭内の言語環境が日本語でない場合、 学習言語の習得は5~9年ほどかかり、4技能(読む・聞く・ 書く・話す)や漢字を書くプロセスを経てもなお、 教科につながる日本語習得というハードルが残る。言葉は「育つ」 ものではなく、「育てる」ものなのである。

 


 学校ではコミュニケーションをとれれば「うまくやれている」「 ついていけている」と捉えられ、以後の学習不振は、 本人の努力不足や家族の協力の無さによると、 個人や家庭の問題として処理されがちである。しかし、 授業についていけないことは、学校不適応や不就学、 自尊感情の低下や自己否定につながり得る。

 


 特に、高校入試は最大の難関となる。 彼らは後期中等教育のスタートラインにさえ立てない、 立てたとしてもドロップアウトするリスクに晒(さら) されている。事実、進路状況(全高校生等との比較)は、 中途退学率7・4倍、就職者の非正規就職率9・3倍、 進学も就職もしていない者の率2・7倍と差は顕著である。

 


 外国由来の子どもの環境整備は、国・自治体の責務である。 日本語や教科学習の指導だけでなく、就労・ 生活相談や心理的ケアなど切れ目のない支援サイクルの確立・ 拡充が不可欠である。日本社会を生きるという耐久レースの「 伴走者」の存在が、彼らには必要なのである。社会に同化させる「 矯正・強制」論議ではなく、多様な他者と生きる「共生」 の作法から問い直すべきである。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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