信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第29回】「子どもの全人格的な成長の糧─体験の貧困は自己責任か」

【連載「コンパス」第29回】「子どもの全人格的な成長の糧─体験の貧困は自己責任か」

 

 自分という存在は、自分の外側にある環境との対話を通じて、また、自分の内側で揺れ動く感情の内省を通じて育てられていくのである。 

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 2023年9月15日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第29回目の連載原稿を寄稿しました。


 今回のテーマは「体験格差」です。
 自分ではコントロールできない環境要因によって、「体験」を諦めざるを得ない。これほど理不尽なことはありません。「体験の貧困」に「子どもの権利」が泣いています。
 大人は、子どもの健やかな育ちと豊かな学びを支える責務がありますが、「誰一人取り残さない」という理念の実質化に邁進しなければなりません。体験の貧困は、自己責任で片付くでしょうか。

 

 関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。
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「子どもの全人格的な成長の糧─体験の貧困は自己責任か」

 

 

 信州の子どもの夏休みは、他県と比べて10日ほど短く、すでに学校は行事や課外活動といった、体験活動の準備に邁進している。全ては、子どもの全人格的な成長を願ってのことである。

 

 

 子どもは、自分の興味・関心や好奇心に導かれ物事に夢中になったり、自然や他者とのコミュニケーションを通じて、心を動かされたりする。イメージ通りに事が進むことで、確かな手応えを得て上機嫌になることもあれば、圧倒的なまでの自然の脅威や、異質な他者との価値観の相違を前に、忸怩たる思いや自暴自棄になることもある。しかし、失敗と成功を繰り返しながら、人は成長する。泥に塗れ手間暇かけて得られた経験の糧が、自分の身体に「貯金」され、ひいては未来の自分の人生を支える「資産」となる。自分という存在は、自分の外側にある環境との対話を通じて、また、自分の内側で揺れ動く感情の内省を通じて育てられていくのである。 

 

 

 しかし、その「体験」とて、タダでは手に入らないのが、格差社会ニッポンの現在である。例えば、公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの調査では、低所得家庭(世帯年収300万円未満)の子の3人に1人が、1年を通じて学校以外の時間(放課後)に行う体験活動が「何もない」ことを明らかにした。ここでの体験は、スポーツ・運動、文化芸術活動、自然体験、社会体験、文化的体験を指す。

 

 

 自分ではコントロールできない環境要因によって、「体験」を諦めざるを得ない。これほど理不尽なことはない。子どもの権利の前に「体験の貧困」が立ちはだかる。

 

 

 教育にはお金がかかるが、誰が負担すべきか。利益を得る当事者が負担すべきとする「私的投資論」、教育を受けたことによる総所得の増加は経済成長に寄与するため社会全体が負担すべきとする「社会的投資論」、教育は投資として成立し得ず習い事に過ぎないため個人が負担すべきとする「私的消費論」、教育それ自体に価値があり、財政負担なしに教育の機会均等を実現できないなら増税してでも社会全体が負担すべきとする「社会的福祉論」など、目的と根拠を異にする負担論は、時に笑顔で手を繋ぎ、時に喧嘩別れを繰り返す。その様相は、教育費をめぐる合意が得られていないことの証左である。

 

 

 大人は、子どもの健やかな育ちと豊かな学びを支える責務があるが、「誰一人取り残さない」という理念の実質化という「夏休みの宿題」をやり残していないか。まだ間に合う。いや、間に合わせなければならない。
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