信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第26回】「「五類」の世界で描くべき学校像 子ども主体 実現の転機に」

【連載「コンパス」第26回】


大人にとって「安全」な決定は、未来に対して「危険」な行為ともなる。子どもから「自分たちのことは自分たちで決めていく」という経験そのものを根こそぎ奪ってしまう可能性があるためである。

 

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 2023年5月27日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第26回目の連載原稿を寄稿しました。
 今回のテーマは「「五類」の世界」です。
 新型コロナウイルスの感染法上の分類が「2類相当」から「5類感染症」に移行し、感染症の拡大リスクを「言い訳」にできた時代は終焉を迎えました。ただ「前の学校」を忠実に再現することを求めている者はいないどころか、最善でもなく、得策でもありません。
「こどもまんなか」社会の実現を掲げる日本の一歩は、大人の都合で物事を決めるのではなく、「大人主導」で、「子ども主体」の学校像を描くことから始まります。
 自律的な学習者の育成を謳う学校が、他律的では切ないです。教師は、専門職として、子どもに向き合い、寄り添いきる。教師の「考える力」を、学校の本領発揮を、みんなが待っています。
 関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。


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「「五類」の世界で描くべき学校像 子ども主体 実現の転機に」
  8日、新型コロナウイルスの感染法上の分類が「2類相当」から「5類感染症」に移行した。感染症の拡大リスクを「言い訳」にできた時代は終焉を迎えたのである。「5類」の世界の景色は、どうか。
 今後は、健康観察や換気確保、手指衛生指導等の継続を基本とし、流行時は活動場面に応じ
た対策が講じられていく。このことは、物事の決定が全国一律ではなく、地域・学校単位で行われることを意味する。
 文科省の「衛生管理マニュアル」によれば、軽微な症状による登校の一律制限、毎日の健康観察シートの提出、発熱時の医療機関での検査や検査キットによる自己検査は不要となった。マスクの着脱も個人の主体的な選択が尊重されることとなり、教師は着脱の「強制」を無意識にしていないか、内省が求められる。
 教育活動はどうか。制限されていた休み時間に遊べる場所、音楽の授業、調理実習、運動会・文化祭、部活動、修学旅行、授業参観、地域連携、そして、教職員の働き方や自己研鑽のあり方など、再吟味すべき点は少なくない。ただ「前の学校」を忠実に再現することを求めている者はいないどころか、最善でもなく、得策でもない。
 例えば、入学と同時に全国一斉休校を経験した「コロナ世代」の代表格である現在の小学4年生は、「前の学校」を知らない。同級生とおしゃべりしながら給食を食べた経験がない。「これまで」「普通」「当たり前」がそもそもないのである。マスク焼けが色濃く残り、期待と不安が入り交じる子どもを前に、○か×かの単純な二項図式に陥ることなく、「何のために、何をするのか/しないのか」という目的思考と、子どもの共感と納得を積み上げていく対話を組み込む転機にできるかが問われているのである。
  「こどもまんなか」社会の実現を掲げる日本。その一歩は、大人の都合で物事を決めるのではなく、「大人主導」で、「子ども主体」の学校像を描くことから始まる。良かれと思ってなされる大人の決定は、「パターナリズム」(父権主義)と隣り合わせにある。大人にとって「安全」な決定は、未来に対して「危険」な行為ともなる。子どもから「自分たちのことは自分たちで決めていく」という経験そのものを根こそぎ奪ってしまう可能性があるためである。
 自律的な学習者の育成をうたう学校が、他律的では心もとない。教師は、専門職として、子どもに向き合い、寄り添いきる。教師の「考える力」を、学校の本領発揮を、みんなが待っている。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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