信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【論文】荒井英治郎「教育ニーズの多様化と学校の役割─責任概念とガバナンス構想─」『学校教育研究』第38号,日本学校教育学会

【論文】荒井英治郎「教育ニーズの多様化と学校の役割─責任概念とガバナンス構想─」『学校教育研究』第38号,日本学校教育学会

 

日本学校教育学会から依頼を受け、「特集論文」として、「教育ニーズの多様化と学校の役割─責任概念とガバナンス構想─」と題した論文を執筆いたしました。特集テーマは、「転換期の学校教育─学校の持つ福祉的機能とは何か」です。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/browse/bojase/list/-char/ja

 

 本稿は、教育ニーズの多様化に着目しながら、学校が直面する実践的・理論的課題を指摘し、学校が果たすべき責任と役割のあり方を論じたものです。
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて首相の要請によって行われた全国一斉休校、そして、全国への緊急事態宣言から3年以上が経過しましたが、いまだに公教育制度は動揺し、学校は翻弄されている感があります。
 コロナ禍の学校で懸念されたのは、教育関係者に提起された実践的問いに向き合わず思考停止に陥ることでした。例えば、「♯学びを止めるな」のスローガンが全国を駆け巡りこれまでの学びの「継続性」を保障できるかが焦点の一つとなりましたが、本来問われるべきは、これまで提供してきた学びの機会は適切、かつ、十分なものであったか、「止めるな」とされる学びの実質は、従来の学びのスタイルを再現するものでいいのかという、学びそれ自体の「妥当性」でした。また、学校再開後の関係者の脳裏には「取り戻さなくてはならない」という強迫観念にも似た焦りがあったはずです。しかし、「取り戻す」対象を学習進度の遅れと矮小化しては、子どもの育ちと学びに学校が果たしてきた役割を再考する機会を逸することになります。学習の進度は様々な工夫で取り戻し得ますが、他者と共に学ぶといった姿勢や意欲、学ぶことの意味の自覚や認識は、一過性のコミュニケーションで取り戻すことは困難です。「取り戻す」べきは、学びの「進度」だけでなく、子どもと共に紡いできた心理的安全性を基盤にした学びの「深度」であったはずです。

 感染症の拡大は、理論的問いも提起しました。例えば、コロナ禍でこれまで等閑視されてきた「登校」概念や「授業」概念の曖昧さが顕在化しました。また、学校が果たしていた機能の多義性(学力保障、健康保障、関係保障など)は、公教育を正当化してきた鍵概念(教育を受ける権利、教育の機会均等、教育の平等・公正・正義、公教育と私教育など)の再検討を要請するものとなりました。そして、公教育制度の動揺は、新型コロナウイルスの感染法上の分類が「2類相当」から「5類感染症」に移行した2023年5月8日以降も続いています。

 そこで、本論文では、第1に、「教育と福祉の政策原理」の節では、近年、方法としての「多機関連携」(interagency collaboration)のあり方が衆目を集め、行政機関間の「競争」から、「連携」を軸とした行政サービスへの転換が謳われている点に鑑みて、教育と福祉の政策原理を概観しました。これは、教育分野でも教育と福祉の連携のあり方が模索される中で、何のために(理念)、誰に(対象)、何を(方法)行うのか、目的と手段の関係は、混同されやすいためです。
 第2に、「教育ニーズの多様化と多機関連携」では、教育ニーズの多様化の事例((1)不登校児童生徒に対する支援(2)外国由来の子どもに対する支援(3)子どもの貧困家庭に対する支援(4)ヤングケアラーに対する支援)を概観しながら、学校組織マネジメントの課題を論じました。
 第3に、「責任概念とガバナンス構想」では、「問う責任」と「問われる責任」の関係について論じました。学校の役割の再吟味や公教育制度の境界線の再考を要請する事例が示唆するように、多様な生活環境で育つ多様な特性を有する子どものウェルビーイングを保障していく方法の一つとして、複数の主体が専門的な役割を果たしながら子どもの育ちと学びに関わっていく多機関連携を推進していく方向性が有力な選択肢として浮上しまし。しかしステークホルダーの数が増えれば増えるほど、責任の所在が不明確となる可能性も高まります。そこで、今後は、各主体が果たすべき責任とは何か、その責任範囲はどこまでなのか、それをどのように操作可能な概念として定位し、検証可能なものとしていくかが課題となります。
 本論文では、日本における責任概念の受容と展開を概括した上で、多機関連携の責任論を展開していく場合に必要な観点、すなわち、①行為主体の自律的な裁量の下で、主体的に責任を担う応答責任概念としての「レスポンシビリティ」(担う責任)と、②外部からの期待や要請を受けて、予め設定された指標に照らして受動的に責任を担う説明責任概念としての「アカウンタビリティ」(担わされる責任)に峻別する議論を踏まえて、責任論は単独で存在・展開されるべきものではなく、「多様な主体間の判断の曖昧さを調整する仕組み」としてのガバナンス構想とともに深められていく必要があることを指摘しました。
 逆に言えば、責任論ないしガバナンス構想不在の多様化政策は、ナイーブな市場化を促進する形で格差拡大に寄与する公算が大きく、「誰一人取り残されない」社会の実現どころか、「誰も責任を負わない」自己責任論が跋扈する状況に陥りかねません 
 第4に、「新しい学校像と「リレーション・マネジメント」」では、「時代の変化への対応」といった抽象論、エビデンスなき精神論、コロナインパクトによる思考停止状態から脱却し、多様化する教育ニーズを適切に把握しながら、新しい学校像を創造していく上で必要なマネジメントとして「リレーション・マネジメント」(リソースやネットワークを効果的に活用し、ステークホルダーの利害・役割・価値を調整していく「リレーション・マネジメント」の実践)の考え方を提起し、ステークホルダー同士で「子どもの最善の利益」という目的を共有し、協働的な実践を推進していく場の中核に学校が位置づけていくことを論じました。
 
「学習する組織」として存在感を示す学校が協働的な実践を体現し、その学校を中核に据えた「学習するコミュニティ」が社会に根付いていく。ここに新しい学校像の本質があります。従って、子どもの育ちと学びに果たすべき学校の役割の範囲は今後小さくなろうとも、その責任の比重はこれまで以上に大きくなります。新しい学校像の創造過程では、受動的に責任を担う説明責任概念である「担わされる責任」に翻弄される前に、主体的に責任を担う応答責任概念である「担う責任」の果たし方を自律的に構想し、その内実を表明していく必要があります 。協働的実践の積み重ねとステークホルダーとの対話プロセスを通じた問い直しを経てはじめて、子どもの学習権保障のためのメタガバナンス構想を具体化していく制度設計上の指針が得られることになるはずです。

以下、章立てです。
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動揺する公教育と翻弄される学校
1 教育と福祉の政策原理
2 教育ニーズの多様化と多機関連携
(1)不登校児童生徒に対する支援
(2)外国由来の子どもに対する支援
(3)子どもの貧困家庭に対する支援
(4)ヤングケアラーに対する支援
3 責任概念とガバナンス構想─「問う責任」と「問われる責任」
4 新しい学校像と「リレーション・マネジメント」
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ご興味のある方はご一読ください。