信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【書評】荒井英治郎「書評:山本渉『任せるコツ』」『月刊高校教育』2024年3月号,98頁

【書評】荒井英治郎「書評:山本渉『任せるコツ』」『月刊高校教育』2024年3月号,98頁


 『月刊高校教育』からのご依頼で、山本渉『任せるコツ』の書評を執筆させていただきました。

https://www.subarusya.jp/book/b625611.html

 

「できる人のところに、仕事ってどんどん集まりますよね。」「まああの人は仕事ができるから仕方ないですよ。」「自分でやった方が早いでしょうし。」

社会人の立ち話、「あるある」ですね。しかし、この捉えは、個人にとっても組織にとっても不健全でオススメできず、むしろ、仕事を「任せる」ことが最高のエンパワーメントともなりうることだってあります。適切に仕事を「任せる」ことは、自由放任とは似て非なるものです。

本書は、間違った仕事の任せ方が横行している現状に鑑みて、いつ、誰に、どのように任せるのか、仕事を任せることの意味を具体的な方法とセットで提示するものです。

仕事を「任せる」マネジメントは、あなたの「今」にとってだけでなく、同僚の「これから」の職能成長、さらには、持続可能な学校組織にとっても効果的なアプローチです。

「安易な仕事の丸投げ」から「健全な仕事の任せ方」へ。仕事の任せ方は、仕事の量と質をつなぐ重要な視点となります。

ご関心のある方はご一読ください。

【連載「コンパス」第28回】「交錯する教育政策の目的─教師の仕事「魅力」と「魔力」」

【連載「コンパス」第28回】「交錯する教育政策の目的─教師の仕事「魅力」と「魔力」」

 

 教育政策には、時に(いや、常に)対立する多様な期待が込められ、学校も、事実として、人材選抜・配分機能、文化伝承機能、秩序維持機能、子どもの保護監督機能など、多様な機能を同時に発揮している。

 

 政策の目的と手段は混同されやすく、手段の目的化が生じやすい。

 

 問題を解決するための政策が、解決するはずの問題をより深刻化させてしまうことも近年散見される。
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 2023年8月5日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」(コンパス)に、第28回目の連載原稿を寄稿しました。

 

 今回のテーマは「職業としての教職の魅力と魔力」です。

 

 教育と政治の関係は、遠いようで近く、むしろ密着しています。

 

今回は、英国の教育学者ケン・ロビンソンらの著書「CREATIVE SCHOOLS」で紹介されている国(政治家)が教育を重視する4つの理由(経済的理由、文化的理由、社会的理由、個人的理由)を頼りに、交錯する教育政策の目的を実現する第一義的な存在としての教師が担う「教職」の難しさや悩ましさについて論じました。

 

 自身の教育哲学を研ぎ澄まし、自己認識を省察する。外的要請に対するアンテナの感度を高め、社会認識を刷新する。

 

こうした営みを日々実践する教職の存在は、「教師の卵」にとって、魅力と魔力、どう映るでしょうか。
 関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。
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「交錯する教育政策の目的─教師の仕事「魅力」と「魔力」」

 

  教育と政治。その関係は、遠いようで近い。いや、むしろ密着している。
 英国の教育学者ケン・ロビンソンらは、「CREATIVE SCHOOLS(クリエイティブ スクール)の中で、国(政治家)が教育を重視する理由に、次の四つを挙げている。
 第一は経済的理由である。教育は国の経済成長と国際競争力に大きな影響を及ぼす。従って、経済に寄与する高学歴の労働人口を増やすために巨額の予算を投じるという考えである。子どもの「経済的」自立のために教育は行わなければならないと表現されることもある。
 第二は文化的理由である。地域社会の伝統・慣習・価値観は、教育を通じて次世代に継承されていく側面を持つ。従って、既存の伝統・文化を守る再生産の手段として、他方で、異文化への寛容性を涵養する機会として、異なる方向性を志向する教育が同じテーブルに乗せられることも少なくない。
 第三は社会的理由である。子は「生まれ」を選べない。従って、全ての子どもの教育を受ける権利を保障すべきであるとする考えである。民主主義社会は市民の社会参画によって支えられているため、市民としての資質・能力を育成するシチズンシップ教育を積極的に行うべきだとする考えも、ここにぶら下がる。
 第四は個人的理由である。全ての子どもが力を発揮し、充実した生活を送ることができるために教育を行うべきであるとする考え方である。
 こうして、教育政策には、時に(いや、常に)対立する多様な期待が込められ、学校も、事実として、人材選抜・配分機能、文化伝承機能、秩序維持機能、子どもの保護監督機能など、多様な機能を同時に発揮している。政策の目的と手段は混同されやすく、手段の目的化が生じやすい。問題を解決するための政策が、解決するはずの問題をより深刻化させてしまうことも近年散見される。
 そして、相互に矛盾しながら交錯する目的を実現する第一義的な存在が、教壇に立つ教師となる。「教職」の難しさや悩ましさは、このようなところにもある。その専門性は内側に閉じられたものではあり得ず、外的世界との対話の機会に常に開かれたものであるからこそ、創造的な教育の実現に向けた道が開かれていくことになる。
 自身の教育哲学を研ぎ澄まし、自己認識を省察する。外的要請に対するアンテナの感度を高め、社会認識を刷新する。こうした営みを日々実践する教職の存在は、「教師の卵」にとって、魅力と魔力、どう映るだろうか。
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【講演】「教育行政・学校における不登校支援の現在ー長野県の取り組みを中心に─」@ 一般社団法人子どもの学びを支える熊本県民の会

【講演】「教育行政・学校における不登校支援の現在ー長野県の取り組みを中心に─」@
一般社団法人子どもの学びを支える熊本県民の会


2024年2月18日、一般社団法人子どもの学びを支える熊本県民の会からお声かけいただき、
「教育行政・学校における不登校支援の現在ー長野県の取り組みを中心に─」と題した講演をオンラインでさせていただきました。

 

今回は参加者の皆様の関心が「信州型フリースクール認証制度」とのことでしたので、仕組みづくりのプロセス(政策過程)と内容(政策内容)の概要をお話しさせていただいた上で、大部分をインタラクティブな時間にさせていただきました。

 

新たな仕組みに対して、様々なご期待感と懸念・心配・不安があるわけですが、「唯一最良の制度」(the one best system)はありませんので、今後自治体ごとに様々な仕組みの検討が行われ、政策競争が行われていくことを期待しています。

 

貴重な機会をどうもありがとうございました。



【連載「コンパス」第33回】「子どもの意見を『きく』ということー同じ地平で『景色』眺める」

【連載「コンパス」第33回】「子どもの意見を『きく』ということー同じ地平で『景色』眺める」

 

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 「子どもまんなか社会」の対極にある社会は、どのような社会だろうか。そこにあって、そこにないものは、何だろうか。視座が低く、視点が狭く、視点が固定的な私たち大人は、誰の立場で、誰の声を「きいて」いるのか。そして、誰の声が「きこえて」いないのか。

 

 2024年2月17日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」(コンパス)に、第33回目の連載原稿を寄稿しました。


 今回のテーマは「きく」です。

 

 令和5年4月に、こども基本法が施行されましたが、1989年に国連総会で採択され、1994年に日本でも批准された「児童の権利に関する条約」の内容理解は十分でしょうか。例えば、意見表明権の「意見」の原文は、opinionでも、ideaでもなく、ましては、claimでもありません。実のところviewsです。

 子どもたちが見ている「景色」の彩りを共感的に受け止め伴走していくこと、これが「子どもの最善の利益」への王道的アプローチとなります。

 

 子どもが見ている「景色」を、同じ地平から眺めることに心を砕くこと。これなしに、教育の専門性は語れないのではないでしょうか。

 

関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

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「子どもの意見を『きく』ということー同じ地平で『景色』眺める」

信州大学 荒井英治郎

 

 「子どもまんなか社会」の対極にある社会は、どのような社会だろうか。そこにあって、そこにないものは、何だろうか。

 

 令和5年4月に、こども基本法が施行された。日本国憲法児童の権利に関する条約の精神に則った同法は、こども施策を社会全体で総合的かつ強力に推進していくための包括的な基本法として制定されたものである。とはいえ、こども基本法の「全文」を読んだことがある大人は、いかほどか、実に心許ない。おそらく、不登校児童生徒などに対する教育機会の確保を目的とした、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(長い!)も、同様の状況であろう。

 

 また、こども基本法とこども家庭庁の設置は、1989年に国連総会で採択され、1994年に日本でも批准された「児童の権利に関する条約」の一般原則を念頭に置いた政策動向であるが、内容理解は十分であろうか。この条約は、いわゆる4つの原則(①生命、生存及び発達に対する権利、②子どもの最善の利益、③子どもの意見の尊重、④差別の禁止)から構成されているが、日本での「意見表明権」の表層的理解の状況には、ため息が出る。

 

 例えば、意見表明権の「意見」の原文は、opinionでも、ideaでもなく、ましては、claimでもない。実のところviewsである。すなわち、ここでの「意見」は、個別具体的な主張や確固たる見解といった、言葉として表現されるものに限定されず、不安や悲しみの気持ち、泣く、だまるといった行為・態度・しぐさ・振る舞いも、含まれるのである。

 

 「今はまだ決めない」という「決定」が、当事者の成長発達にとって大きな意味があることだってある。自分と異なる他者の視座(高さや低さ)・視野(広さや狭さ)・視点(鋭さや鈍さ)の存在を受容し尊重していくこと、換言すれば、子どもたちが見ている「景色」の彩りを共感的に受け止め伴走していくことが求められているのであり、これが「子どもの最善の利益」への王道的アプローチとなる。

 

 しかし、言うは易く行なうは難し。この道は極めて険しい。視座が低く、視点が狭く、視点が固定的な私たち大人は、誰の立場で、誰の声を聞いているのか。そして、誰の声が聞こえていないのか。少なくとも、大人だけで決めた最善の利益は、子どもにとって最善の利益であると言えるわけなかろう。

 

 子どもが見ている「景色」を、同じ地平から眺めることに心を砕くこと。これなしに、教育の専門性は語れまい。

(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)

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【連載】第11回「事実と解釈」(連載「働き方改革を『アンラーン』する」『内外教育』第7138号,2024年2月6日)

【連載】第11回「事実と解釈」(連載「働き方改革を『アンラーン』する」『内外教育』第7138号,2024年2月6日)

 
時事通信社の『内外教育』誌上で、「働き方改革を『アンラーン』する」と題した連載をさせていただいております。

第11回のテーマは、「事実と解釈」です。

 

事実と懸け離れた解釈、特に、根拠のない思い込みは、人や組織の成長機会を奪うリスクがありますが、粘着力の高い無意識の偏見や思い込み、偏ったものの見方や捉え方は、学校改革を拒む要因となる場合もあります。


「誰にでもバイアスはある」という前提を置いた上で、その存在を認識しようと努め、気づき、理解し、対処していくこと。そして、自分や組織のバイアスが周囲の同僚や組織にどのような影響を与えるか、その影響の範囲に自覚的であること。個人の思い込みで、他者の過去と現在を決め付け、未来のあり方を押し付けてしまう。個人の自己防衛心で、組織全体の未来を方向づけてしまう。「事実」と「解釈」は異なることを、肝に銘じておく必要があります。
ここに近道はありません。


今回は、守屋智敬さんによる著「『アンコンシャス・バイアス』マネジメント─最高のリーダーは自分を信じない」(かんき出版、2019年)を頼りに、「組織」に影響を与えるバイアス例として、以下のバイアスに着目しながら、教育分野のバイアスを論じてみました。


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①確証バイアス(Confirmation bias)

ステレオタイプ(Stereotype)

③ハロー効果(Halo effect)

正常性バイアス(Normalcy bias)

⑤権威バイアス(Authority bias)

⑥コミットメントのエスカレーション(Escalation of commitment)

⑦アインシュテルング効果(Einstellung effect)

⑧集団同調性バイアス(Majority synching bias)

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ご関心のある方は、ぜひご笑覧下さい。

引き続きよろしくお願いします。

【コメント】「学校における働き方改革研修@大阪府枚方市教育委員会」


【コメント】「学校における働き方改革研修@大阪府枚方市教育委員会

 

2024年2月14日、枚方市教育委員会(学校教育部教職員課)主催の「学校における働き方改革研修」にオンライン参加し、コメントさせていただきました。

 

3つの学校(さだ東小学校、五条小学校、桜丘北小学校)の実践をお伺いした上で、コメントをさせていただきました。

 

以下、時間が限られていたため、きちんとお伝えできなかったコメントメモ。

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・学校における働き方改革の「伴走」

・学校における働き方改革を伴走する教育委員会の「伴走」

・「働く人改革」としての働き方改革

・「当たり前」を見直すことは、痛みを伴う可能性があるため、慎重・丁寧かつ大胆に進めていく必要がある。

・人は人それぞれ違うため、ライフスタイルや仕事に対する考え方や価値観も異なるため、負担感の「ありか」(量的負担感、質的負担感、物理的負担感、空気)が違うということ(自分とは異なる「他者への敬意」)を前提として、「対話」を行っていくことが求められてくる。

・今こそこだわりたい「働きがい」と「働きやすさ」の両立。

・「量」と「質」の観点を大事にする必要がある。
(「量」の勝負だけでは達成できるかどうかの判断軸が明確なため、未達成の場合苦しくなり、同僚性や心理的安全性に悪影響を与えてしまう可能性があるため、「質」の勝負にもチャレンジしていくことは、実は遠回りのようで自分たちの取り組みを後押ししてくれる可能性もある)

・同僚の必然的な「もやもや」「違和感」を大切にしつつ、できることからコツコツと実践を積み重ね、その成果と課題をモニタリングしていくことが必要

働き方改革の「目的」を見誤ってはならない(何が問題か、それは課題なのか、誰にとってどのような意味での事柄なのかを考えていく)

働き方改革の「目的」を見失ってはならない(取り組みが順調に進めば進むほど、えてして目的を忘れてしまう)

・目的を見誤り、見失わないために、に業務改善の取り組みの進捗状況を意識的にリフレクションしていくことが重要

・自分たちの職場のあり方を、自分たちでコントロールする(した)経験は、働き改革のあり方だけでなく、授業改善、学校改革のあり方に大きな影響を与えうる。
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【書籍】探究学習研究会編『「探究学習」とはいうけれど ー学びの「今」に向き合う』晃洋書房,2024年

【書籍】探究学習研究会編『「探究学習」とはいうけれど ー学びの「今」に向き合う』晃洋書房,2024年

 

このたび、探究学習研究会(清水優菜先生、村松灯先生、田中智輝先生、大林正史先生、松村智史先生、古田雄一先生、武井哲郎先生、柏木智子先生、荒井)で、『「探究学習」とはいうけれど ー学びの「今」に向き合う』という書籍を刊行する運びとなりました。

皆さんは、探究学習に対して、必然とも言える、以下のような「もやもや」に直面したことはないでしょうか。

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①何の役に立つか、わからない(有用性)
②進路選択に役立つのか、わからない(進路への有用性)
③「調べ学習」との違いがわからない(調べ学習との違い)
④探究のプロセスに対してどのように指導したらいいか、わからない(探究の過程への指導)
⑤どのように教育課程の編成を行っていけばいいか、わからない(教育課程の編成)
⑥どのように評価をしたらいいか、わからない(評価方法)
⑦負担が増える(負担の増加)
⑧教員間での意識の差が大きい(教員間の意識差)
⑨「探究学習」と「教科学習」との関係をどのように捉えたらいいのか、わからない(教科学習との関係)
⑩外部の機関とどのように連携をしていけばいいか、わからない(外部機関との連携)
⑪多様な子どもに対して、どのように学習の動機づけを与えたらいいのかわからない(子どもへの動機づけ)
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これに対して、本書は、「探究学習に関する先生方の悩みや不安に対し、答えを示すことは難しいけれども、理論・データ・事例から「探究学習」の本質に迫ります。」(出版社の紹介)とあり、以下の目次の通り、探究学習における「もやもや」を受け入れた上で、様々な視点から「?」に対する向き合い方について論じています。

私が執筆しました「探究学習をめぐる政策動向と探究の過程」はともかく、他の章は本当に読ませる、考えさせられる章が多く、皆様の「もやもや」に対する捉えをお示しできているのではないかと思います。

ご関心のある方は、ぜひお読みいただけたら幸いです。

https://www.koyoshobo.co.jp/book/b639754.html

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CT3C81N1/ref=sr_1_1?crid=2XEEYNEEII31I&keywords=探究学習+とはいうけれど&qid=1706001643&sprefix=探究学習とはい%2Caps%2C164&sr=8-1

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本書の目的と特徴

第Ⅰ部 探究学習の「もやもや」を探る

第1章 探究学習を支える新しい学力観とそのジレンマ
第1節 日本における学校教育改革
第2節 国際的な教育改革の動向
第3節 新しい学力観が提起する問題

第2章 探究学習をめぐる政策動向と探究の過程
第1節 VUCA 時代の到来と再帰的近代
第2節 探究学習をめぐる政策動向
第3節 探究の過程と指導・支援
第4節 「キャリア発達支援」としての探究学習

第3章 探究学習は資質・能力の向上に寄与するのか

第4章 探究学習に対する不安・困難さの実態―生徒・教員対象の意識調査から―
第1節 探究学習の実態を明らかにするために
第2節 生徒・教員対象のWeb 調査とその内容
第3節 生徒が感じる不安の実態
第4節 教員が感じる不安・困難さの実態
第5節 どのように不安と向き合うのか

第Ⅱ部 探究学習の「?」から考える

第1章 「課題の設定」はどのようにすればよいのか?
     ―「問い」が生まれる条件を探る―
第1節 「課題の設定」をめぐる困難
第2節 問う者と問われる者の関係性を組み換える
第3節 探究学習において「問い」とは何か
第4節 「問い」が立てられるとき、私たちには何ができるのか

第2章 「調べ学習」を超えてどのように探究学習をデザインするか?
     ―現実の社会への参画を組み込んだ探究学習―
第1節 「調べ学習」型で行う探究学習の課題
第2節 現実の社会参画を組み込んだ探究学習のデザイン
第3節 どのような探究学習をめざすべきか

第3章 探究学習のプロセスをどう指導すればよいのか?
第1節 高校教員における探究学習のプロセスに関する悩み
第2節 A中学校の特別活動の時間における探究学習に関する実践事例
第3節 探究学習のプロセスの指導に関する考察

第4章 探究学習をどう評価すべきか?
第1節 探究学習の評価
第2節 探究学習の評価と妥当性

第5章 生徒に「伴走」するってどういうこと?
     ―地域ともつながる探究学習に向けて―
第1節 「伴走」の難しさ
第2節 「伴走」による学習の深まり
第3節 残された課題

第6章 教員間の意識のズレ(温度差)をどう解消したらよいのか?
     ―探究学習を支える教員組織―
第1節 教員間のもやもや
第2節 教員間のもやもやについてのインタビュー概要
第3節 教員間のもやもやの実態と、背後にあるロジック
第4節 教員間のもやもやを越えるために

第7章 生徒のやる気を高めるためには?
     ―探究学習による格差の拡大は防げるのか―
第1節 生徒のやる気を高めるといわれても
第2節 生徒のやる気を高める実践事例
第3節 生徒のやる気を高めるためのポイント

おわりに
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