信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第33回】「子どもの意見を『きく』ということー同じ地平で『景色』眺める」

【連載「コンパス」第33回】「子どもの意見を『きく』ということー同じ地平で『景色』眺める」

 

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 「子どもまんなか社会」の対極にある社会は、どのような社会だろうか。そこにあって、そこにないものは、何だろうか。視座が低く、視点が狭く、視点が固定的な私たち大人は、誰の立場で、誰の声を「きいて」いるのか。そして、誰の声が「きこえて」いないのか。

 

 2024年2月17日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」(コンパス)に、第33回目の連載原稿を寄稿しました。


 今回のテーマは「きく」です。

 

 令和5年4月に、こども基本法が施行されましたが、1989年に国連総会で採択され、1994年に日本でも批准された「児童の権利に関する条約」の内容理解は十分でしょうか。例えば、意見表明権の「意見」の原文は、opinionでも、ideaでもなく、ましては、claimでもありません。実のところviewsです。

 子どもたちが見ている「景色」の彩りを共感的に受け止め伴走していくこと、これが「子どもの最善の利益」への王道的アプローチとなります。

 

 子どもが見ている「景色」を、同じ地平から眺めることに心を砕くこと。これなしに、教育の専門性は語れないのではないでしょうか。

 

関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

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「子どもの意見を『きく』ということー同じ地平で『景色』眺める」

信州大学 荒井英治郎

 

 「子どもまんなか社会」の対極にある社会は、どのような社会だろうか。そこにあって、そこにないものは、何だろうか。

 

 令和5年4月に、こども基本法が施行された。日本国憲法児童の権利に関する条約の精神に則った同法は、こども施策を社会全体で総合的かつ強力に推進していくための包括的な基本法として制定されたものである。とはいえ、こども基本法の「全文」を読んだことがある大人は、いかほどか、実に心許ない。おそらく、不登校児童生徒などに対する教育機会の確保を目的とした、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(長い!)も、同様の状況であろう。

 

 また、こども基本法とこども家庭庁の設置は、1989年に国連総会で採択され、1994年に日本でも批准された「児童の権利に関する条約」の一般原則を念頭に置いた政策動向であるが、内容理解は十分であろうか。この条約は、いわゆる4つの原則(①生命、生存及び発達に対する権利、②子どもの最善の利益、③子どもの意見の尊重、④差別の禁止)から構成されているが、日本での「意見表明権」の表層的理解の状況には、ため息が出る。

 

 例えば、意見表明権の「意見」の原文は、opinionでも、ideaでもなく、ましては、claimでもない。実のところviewsである。すなわち、ここでの「意見」は、個別具体的な主張や確固たる見解といった、言葉として表現されるものに限定されず、不安や悲しみの気持ち、泣く、だまるといった行為・態度・しぐさ・振る舞いも、含まれるのである。

 

 「今はまだ決めない」という「決定」が、当事者の成長発達にとって大きな意味があることだってある。自分と異なる他者の視座(高さや低さ)・視野(広さや狭さ)・視点(鋭さや鈍さ)の存在を受容し尊重していくこと、換言すれば、子どもたちが見ている「景色」の彩りを共感的に受け止め伴走していくことが求められているのであり、これが「子どもの最善の利益」への王道的アプローチとなる。

 

 しかし、言うは易く行なうは難し。この道は極めて険しい。視座が低く、視点が狭く、視点が固定的な私たち大人は、誰の立場で、誰の声を聞いているのか。そして、誰の声が聞こえていないのか。少なくとも、大人だけで決めた最善の利益は、子どもにとって最善の利益であると言えるわけなかろう。

 

 子どもが見ている「景色」を、同じ地平から眺めることに心を砕くこと。これなしに、教育の専門性は語れまい。

(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)

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