信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【いただきもの】広田照幸『教育改革のやめ方ー考える教師,頼れる行政のための視点』岩波書店,2019年

【いただきもの】広田照幸『教育改革のやめ方ー考える教師,頼れる行政のための視点』岩波書店,2019年


ご報告が遅れましたが、日大の広田先生から『教育改革のやめ方ー考える教師,頼れる行政のための視点』(岩波書店,2019年)を謹呈いただきました。どうもありがとうございます。


広田先生のご専門は「教育社会学」ではありますが、本書では、随所に「教育学者」としての見解が開陳されています。

 

沢渡あまねさんが『仕事の問題地図』において、「イノベーション 叫べば下がる モチベーション」と記していましたが、教育改革論議における政策立案者と教育現場との関係性もこれに近しいギャップが存在している状況にあります。


以前、私も末松裕基編『現代の学校を読み解く: 学校の現在地と教育の未来』(春風社,2016年)の「自己目的化する「改革至上主義」を超えて」と題した項目で、

 

再帰的近代における社会制度としての学校教育制度は、普遍的・絶対的存在ではなく、民主主義社会はより良い制度を再帰的に志向する実践を中核にして不断に再編成されていくべきであるという考え方 に基づけば、改革論議自体はむしろ歓迎すべきものであること

 

・教育は、文化伝達を通じて社会の再生産を志向する意味において「過去性」を有するだけでなく、社会の基本的機能である個人形成と社会形成への関与を通じて、社会の問題解決を求める意味において「現在性」や「未来性」を有する営みでもあること(黒崎1999:v)

 

・であるにもかかわらず、いや、だからこそ、制度改革を叫ぶ人間に限って、学校制度が真空空間に存在しているかのような幻想に未だ囚われている節があること

 

・「制度疲労」という憶測や印象論的な認識を前提としながら、改革帰結の妥当性・蓋然性の検討も経ず制度改革を進めようとする改革幻想・至上主義、そしてそこから打ち出される自己目的化した改革の危険性はこれまでもたびたび指摘されてきたこ

 

・教育に「できること」と「できないこと」の区別、教育にできることの中で「してよいこと」と「すべきでないこと」の区別もなされないまま改革論議が進行していること(広田2003:4-5)

 

などに関して論じさせていただきましたが(「制度としての学校」)、本書も、この種の改革論議リテラシーを問うものとなっています。

 

なお、以下は出版社HPからの目次の抜粋です。
https://www.iwanami.co.jp/book/b473153.html
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はじめに

Ⅰ 中央の教育改革

1 近年の教育改革(論)をどうみるか――ましな改革を選んでいくために
2 日本の公教育はダメになっているのか――学力の視点からとらえ直す
3 【対談】  新しい学習指導要領は子どもの学びに何を与えるか――政策と現場との距離……………氏岡真弓(朝日新聞編集委員
4 なぜいま教育勅語
5 「昔の家族は良かった」なんて大ウソ!
 自民党保守の無知と妄想――家庭教育支援法案の問題点
6 教育改革のやめ方――NPMをめぐって


Ⅱ 教育行政と学校

7 地方の教育行政に期待するもの――新しい時代の学校教育
8 学校教育のいまと未来
9 地方分権と教育
10 「学校のガバナンス」の光と影
11 保護者・地域の支援・参加をどう考えるか


Ⅲ 教員の養成と研修

12 教員の資質・能力向上政策の貧困
13 教員集団の同僚性と協働性
14 「教員は現場で育つ」のだけれど……
15 教育の複雑さ・微妙さを伝えたい

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改めてどうもありがとうございました。