【連載「コンパス」第46回】「引き受けてきた『荷物』手放しつつ─新たな学校像を描く時期
心当たりはあるだろうか。
仕事としては成立し、給与も発生している。しかし、事実上、社会的価値を生み出していない。そして、そのことを当の本人も自覚している。
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2025年8月25日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」(コンパス)に、第46回目の連載原稿を寄稿しました。
今回のテーマは「学校の荷物と責任」です。
学校の「荷物」。誰が、どう、下ろすか。現代の学校に、教育的な「意義」がなく、「無駄」で「無意味」なことは、あるだろうか。単純な「役割分担論」は無責任を助長しかねず、責任の所在と費用負担を明確化した「担い手論」へ議論をシフトしていく必要がああります。
関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読いただき、ご感想・ご意見をお寄せください。
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【連載「コンパス」第46回】「引き受けてきた『荷物』手放しつつ─新たな学校像を描く時期」
無用。無益。徒労。いずれも「無駄」と近い意味を持つ古語・類義語である。駄は、もともとは「荷を背負わせる馬(駄馬)」や「荷物」を意味し、これが転じて、「価値が低い」「役に立たない」というニュアンスが派生した。では、現代の学校に、教育的な「意義」がなく、「無駄」で「無意味」なことは、あるだろうか。
米国の文化人類学者デヴィッド・グレーバーは、社会的な価値を生み出さず、かつ、働き手自身も意味を見いだしていない仕事を「ブルシット・ジョブ」(bull-shit Jobs)と名付け、5つに分類した。
その分類は、
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①取り巻き(flunkies):上司や組織の見栄や威厳を保つためだけにある仕事
②脅し屋(goons):他者を脅し欺くことで、競争優位を保つためだけにある仕事
③尻ぬぐい(duct tapers):組織やシステムの欠陥を一時的に取り繕うためだけにある仕事
④書類穴埋め人(box tickers):実態のない成果を示すためだけにある仕事
⑤タスクマスター(taskmasters):不要な業務を他人に割り当て管理するためだけにある仕事
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であり、大抵の場合、複数の類型の複合体である。これらは、「社会的価値の欠如」と「本人の無意味感の自覚」が共鳴した時に浮き彫りになる。
心当たりはあるだろうか。仕事としては成立し、給与も発生している。しかし、事実上、社会的価値を生み出していない。そして、そのことを当の本人も自覚している。文字通り、空しい。結果として、個人の虚無感や精神的疲弊、組織の生産性低下や資源浪費を招くだけでなく、社会の労働観をも歪ませ、蝕んでいくというのだから、たちが悪い。
学校は、多様な期待や要求を一身に引き受けてきた。その中には「割に合わない仕事」(シット・ジョブ)も含まれていることを自覚しつつも。その両手は、すでに、背負ってきた/背負わされて荷物と、担ってきた/担わされてきた責任で、一杯である。では、その荷下ろしは、誰が、どのように、すべきか。
グレーバーは、仕事の意味は、外部からは一義的に判断できないと言う。自分にとっての意義が、相手にとっても同じとは限らない。社会的な価値の客観的・絶対的なものさしなど、ありはしない。であるならば、学校は、荷下ろしの「主語」として、外部関係者と丁寧に対話し、納得解を探り、共感を得ながら新しい学校像を描くしかない。
単純な「役割分担論」は無責任を助長しかねず、責任の所在と費用負担を明確化した「担い手論」へ議論をシフトしていく必要がある。学校は、何のために、何を手放し、何を担うのか。その輪郭を描き直す時期に来ている。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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