信州大学 教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第44回】学校と社会の関係はどうあるべきか─「使役思考」からの脱却を

【連載「コンパス」第44回】学校と社会の関係はどうあるべきか─「使役思考」からの脱却を

 

子どもに決めさせるのではなく、子どもが決める。子どもに責任を負わせるのではなく、子どもが責任を担う。そこでの大人の関わりはいかに?

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 2025年4月28日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」(コンパス)に、第44回目の連載原稿を寄稿しました。
 
 今回のテーマは「学校依存と使役思考」です。

関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

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【連載「コンパス」第44回】学校と社会の関係はどうあるべきか─「使役思考」からの脱却を

学校的な価値観が広く社会に浸透した「学校化社会」と、その転換を謳う「脱学校論」。そして、実態としての「学校依存社会」。予測困難な社会を生き抜くために必要な資質能力が子どもに身についていないとして、学校を糾弾する風潮は止まることを知らない。悲しいかな、学校は、いつだって旗色が悪い。


ところで、学校と社会の関係は、段差がなく、シームレスであるべきか。それとも、社会から隔離された学校という場に、独自の意味はあるだろうか。すぐに役に立たないこんな問いに向き合うべく、「巨人の肩」に乗ってみよう。


ドイツの心理学者フロムは、近代は、私たちに安定と自由を与えたが、それと同時に、耐え難い孤独や不安を与えたと論じた。この孤独や不安をかき消すために必要とされたのが、「他者」であった。また、アメリカの社会学者リースマンは、恥に対する恐怖が個人を動機づける「伝統指向型社会」から、権威者や保護者の教育により刷り込まれた罪の感覚が個人を動機づける「内部指向型社会」を経て、不安によって模倣欲望が醸成され同調行動へ動機づけられる「他人指向型社会」へと50年代のアメリカ社会の変容を描いた。ちなみに、その書名は、『孤独(・・)な群衆(・・)』である。


不確実性に満ちた社会という初期設定。そこで問われるのが、個人のあり方である。ドイツの社会学者ベックは、社会リスクの高まりによって個人の選択の重要度が高まる状況を「個人化」と命名し、「リスク社会」の到来を指摘した。また、ポーランド社会学者バウマンは、個人の自己決定によって生じる社会現象が定着する前に次の現象が生じてしまう状況を「液状化」と表現した。個人の決定と社会の姿が地続きであるという見立てである。


ところが、不安という鎧をまとった私たちは、他者の一挙手一投足に敏感に反応し、自己決定の正当化根拠にしてしまう。同調圧力も、常態化すれば清浄化された空気である。


こうして、社会は満を持して「学校」に登板を言い渡す。では、教育をなりわいする投手(教師)に、「させる」という「使役思考」からの脱却は可能か。子どもに決めさせるのではなく、子どもが決める。子どもに責任を負わせるのではなく、子どもが責任を担う。そこでの大人の関わりはいかに?


すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなることもある。すぐに役立たない問いを考えてみることも新年度ならば許されよう。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)