【連載「コンパス」第40回】「存在感増す『教育投資家族』 再考求められる学校の役割」
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2024年11月16日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」( コンパス)に、第40回目の連載原稿を寄稿しました。
今回のテーマは「教育投資家族」です。
関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。
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【連載「コンパス」第40回】「存在感増す『教育投資家族』 再考求められる学校の役割」
信州大学 荒井英治郎
学校は、誰のために、何のために、存在しているのだろうか。今回は、教育社会学者の耳塚寛明を中心とする研究グループの成果を紹介しながら、学校の存在意義を問うてみたい。
近年の社会階層研究は、①子どもの学力の大部分は、家庭的背景から説明できること、②家庭的背景として重要なのは、家庭の学校外教育費支出(学習塾や通信教育等の支出額)、学歴期待(子どもにどの学校段階までの教育達成を期待するか)、家庭の所得、母親の学歴等であること、③保護者が高学歴層の富裕な家庭ほど、また子どもの学校外教育に支出を惜しまず高い学歴獲得を期待する家庭ほど、子どもが高い学力を示す傾向があることを明らかにしてきた。
そのような中、日本でますます存在感を増しているのが「教育投資家族」である。上記研究では、①子どもに4年制大学か大学院までの進学を期待していること(学歴期待)、②学校外教育に15,000円以上支出していること(教育費支出)、③子どもを「受験塾」に通わせていることの3条件を挙げている。
注目すべきは、教育投資家族は、ただ(無料)でその地位を子どもに相続させようとしているわけではない点である。データ上、学校教育に対する満足度が相対的に低い傾向も確認できる教育投資家族は、それ相応の対価を支払い、将来を見据えながら時にリスクある選択をし、親自身も子どもと共に努力することをいとわない。
合理的で、正当とされる手段を用いて、学力・学歴獲得競争に参加する教育投資家族に、誰が、何を、言えようか。そして公教育機関としての学校は、この状況にどう向き合うべきか。このような観点からも、学校の役割の再考が要請されていることは、より自覚されてしかるべきであろう。
ところかわって、所得格差も大きく、社会的分断が顕著とされる課題先進国イギリスでは、個人の教育達成が、子どもの才能・能力・努力ではなく、家庭の富(wealth)や親の願望(wishes)によって方向づけられることを指す概念として、「ペアレントクラシー」(parentocracy)という造語も登場し、研究対象ともなっている。「クラシー」とは、ギリシャ語の「kratos」(力や支配)を語源とし、「○○の支配」を示す。「デモクラシー」(democracy)は「民衆による支配」、「ビューロークラシー」(Bureaucracy)は「官僚による支配」といったように。
親の教育戦略が分化することで学力格差が拡大し、社会的地位が再生産される度合いが強まる。そして、社会の分断化の勢いも加速する。国民統合を促す役割も期待され、発明された学校は、文字通り、岐路に立たされている。
学校は、誰のために、何のために、存在すべきだろうか。「みんなの学校」は、「パブリクラシー」(publicracy)の看板を、誰と、どうすべきか。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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