信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」第21回】「地域の将来像への種まき─世代超えて共に耕す経験を」

【連載「コンパス」第21回】

地域の存在は、住民の生活にとって「標準仕様」ではなく、そこに当たり前に「ある」ものではなくなっている。

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 2022年11月9日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」(コンパス)に、第21回目の連載原稿を寄稿しました。

 

 今回のテーマは「地域の将来像」です。

 

 地域住民と挨拶を交わしコミュニケーションをとること、放課後に近隣の子どもと同じ時間を共にすること、地域行事に参加すること。無意識に駆け抜けた日常は、地域の将来の「担い手」に対するイニシエーション(通過儀礼)の役割を果たしてきましたが、地域の存在は、住民の生活にとって「標準仕様」ではなく、そこに当たり前に「ある」ものではなくなっています。
 
 そして、残念ではありますが、地域住民が丁寧に紡いできた「これまで」の輝かしい地域資源が、「今を生きる」現役世代や「これから」を描く未来の移住者の目にも魅力的な財産として映るかは、定かではありません。

 

「これまで」の当たり前を見直し、「これから」の当たり前を共に創っていくこと、「新参者」を地域社会の「担い手」としてだけではなく「創り手」として迎え入れていくこと、逆説的に感じられるかもしれませんが、「多様性」に対する「共感的理解」と「寛容性」が、持続可能な地域づくりの定石となるはずです。

 

 「多様性」と「寛容さ」のエピソードをふんだんに盛り込んだ物語こそが、未来の読者(地域住民)を惹きつけ、長く読み継がれ語り継がれる、不朽の作品となります。あなたの地域が描く「来るべき未来」という次回作は、「迷作」、「名作」のどちらになるでしょうか。

 

 関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

 

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「地域の将来像への種まき─世代超えて共に耕す経験を」

 

あなたにとって、地域はどのような存在だろうか。寛容で、温かみがあり、あなたをやさしく包み込む存在となっているだろうか。では、地域にとって、あなたはどのような存在だろうか。

 

子どもの社会性や規範意識は生活環境の基盤とされる地域との関わりで育まれるべきであるとする価値観は古くからある。だが、現実との乖離は著しい。地域の存在は「標準仕様」ではなくなり、子ども会・町内会・学区・行政区等の現在の境界線を前提とした議論の限界も見え始めている。

 

地域住民と挨拶を交わすこと、放課後に近隣の子どもと同じ時間を共にすること、地域行事に参加すること。これらは、地域の将来の「担い手」に対するイニシエーション(通過儀礼)の役割を果たしてきた。

 

しかし、地域住民が丁寧に紡いできた「これまで」の輝かしい地域資源が、「今を生きる」現役世代や「これから」を描く未来の移住者の目にも魅力的な財産として映るかは、定かでない。私たちにとって居心地のよい「これまで」が「これから」も続いていく保証はなく、その希望的観測は楽観的すぎる。

 

私たちは自分の(頃の)基準で「今」を理解しがちだが、予測困難な時代を前に子どもに「学び続ける」ことを求めるならば、地域住民もまた地域を「磨き続ける」ことが求められる。そこでは多様な家族に対する寛容さ、困難を抱える子どもに対する柔らかなまなざしなど「多様性」に対する共感的理解が欠かせない。

 

 地域の将来像は、次世代の生涯設計の議論と無関係ではない。現在の当事者による地域の論理を重視した議論は、結論を得やすい反面、現状維持思考に陥りやすい。価値観を異とする「異質な他者」への配慮が乏しくなるきらいもある。

 

 対して異世代住民を巻き込んだ議論は利害が一致しないこともままあり、合意形成に時間を要する。非効率で手間も暇もかかり、根気も要する。しかし、「未来思考」で種をまき、世代を超えて地域を共に耕していく経験を積んでいかなければ、居心地のよい「これまで」の生活さえも手放す公算が一挙に高まる。

 

 「多様性」と「寛容さ」を盛り込んだ物語こそが、未来の読者(地域住民)をひきつけ、長く読み継がれる不朽の作品となる。あなたの地域が描く「来るべき未来」という次回作は「迷作」となるか「名作」となるか。急がば回れ。持続可能な未来は、小さな一歩を待っている。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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