信州大学教職支援センター 荒井英治郎研究室

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【連載「コンパス」20回】「子どもの貧困と福祉の視点─教育行政も伴走型の時代に」

【連載「コンパス」20回】「子どもの貧困と福祉の視点─教育行政も伴走型の時代に」

 

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2022年10月5日付の『信濃毎日新聞』の「教育面」(コンパス)に、第20回目の連載原稿を寄稿しました。

 

今回のテーマは、「福祉行政」です。

 

 「子どもの貧困」が社会問題化する中、教育分野にも「福祉」の視点を取り入れていこうとする機運が高まりつつありますが、何のために、誰に、何を、どのように支援するのか、「目的」と「手段」の関係は混同されやすい状況にあります。

 

 「普遍主義」を軸とする教育制度と比較して、「選別主義」を軸とする福祉制度は「貧困に対する恩恵」と誤解されている節もありますが、本来は憲法第25条の生存権を保障すべく、全ての人が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むための社会的再配分の制度です。

 

 「一人も取り残さない」というまなざしは、「一人とて不必要な受給を許さない」という態度に容易に転化し、「包摂の天使」は「監視の悪魔」へ豹変(ひょうへん)します。

 誰もが安心して利用できるフレンドリーな制度にするためには「自立の助長・育成」という制度理念の適切な理解と、政策の目的・対象・方法の明確化、そして当事者視点に基づく制度運用の検証が肝要です。教育行政も「自立に伴走する」福祉行政の現状と課題から学ぶべき点は少なくないと思います。

 

関心・興味のある方がいらっしゃいましたら、ご一読ください。

 

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 「子どもの貧困」が社会問題化する中、教育分野にも「福祉」の視点を取り入れていこうとする機運が高まりつつある。ところが、何のために、誰に、何を、どのように支援するのか、「目的」と「手段」の関係は混同されやすい。

 

 福祉制度は「貧困に対する恩恵」と多分に誤解されているが、本来は憲法第25条の生存権を保障すべく、全ての人が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むための社会的再配分の制度である。一定の条件を満たす対象に限定して支援を行う「選別主義」を前提とした場合、その支援は「公的扶助」的な性格を帯びる。便益享受の範囲を保険加入者に限定する社会保険や「最後の砦(とりで)」とされる生活保護は、その典型である。

 

 ちなみに教育制度は、教育の機会均等を実現すべく、全ての子どもを一律に支援する形で設計されることが多い。この「普遍主義」を前提とした場合、その支援は資格要件を問わない「社会手当」的な性格を帯びるため、市民の合意は得やすいが、財政規律の観点による批判は根強い。また、所得によらない一律支援は、長期的に社会階層の固定化や社会格差の拡大をも招く可能性を否定できず、政策が当事者に適切に届いているか不断の検証が不可欠となる。普遍主義は、社会の平等化を必ず約束するわけではないのである。

 

 福祉に話題を戻すと、生活保護制度は申請があって初めて保護がスタートする「申請主義」を軸とし、最低限度の生活が維持できない場合に限り保護が受けられるという「補足性の原理」が前提とされる。行政は世帯全体の収入・資産状況調査や扶養照会などの結果に基づく運用を行う。だが、この資力調査は申請への心理的ためらいや気恥ずかしさ、受給のスティグマ(負の烙印(らくいん))を生じさせ、受給申請の抑制や捕捉率の低下の課題が常々指摘されている。

 

 「一人も取り残さない」というまなざしは、「一人とて不必要な受給を許さない」という態度に容易に転化し、「包摂の天使」は「監視の悪魔」へ豹変(ひょうへん)する。
 誰もが安心して利用できるフレンドリーな制度にするためには「自立の助長・育成」という制度理念の適切な理解と、政策の目的・対象・方法の明確化、そして当事者視点に基づく制度運用の検証が肝要になる。

 

 教育行政も「自立に伴走する」福祉行政の現状と課題から学ぶべき点は少なくない。
(あらい・えいじろう 信州大教職支援センター准教授)
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