【学会発表】「給特法の成立過程と日教組」@ 第77回日本教育学会大会

【学会発表】「給特法の成立過程と日教組」@ 第77回日本教育学会大会


9月1日に宮城教育大学で開催されました第77回日本教育学会に おきまして「給特法の成立過程と日教組」とのタイトルで、
名古屋大学の丸山和昭先生、 川崎医療福祉大学の田中真秀先生と共同発表をさせていただきまし た。


 本研究は、1971年に成立した「 国立および公立の義務教育諸学校における教育職員の給与等に関す る特別措置法」の制度化過程について,主に, 給特法の成立前後における日教組の表面的な動向の背後にあった組 合内部の議論について, 日教組側の史料を用いて解明を試みました。 特に焦点を当てたのは, 文部省が教員給与改善措置費の予算要求を行った1967年8月か ら、 給特法の成立後に日教組と文部省の間で合意が成立した1971年 7月までの期間です。


以下は、発表要旨からの抜粋です。


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 給特法の成立過程は,日教組のロジックを中心に概括すると, 次のようなものであった。
 給特法成立の前提として重要なのは, 日教組が1960年代に超過勤務問題への対応として展開した裁判 闘争である。日教組側の主張が勝訴を重ねていたことが, 文部省が1967年8月に教員給与改善措置費の予算要求を行った 背景のひとつとなった。この文部省の姿勢に対し, 自民党文教部会が強硬な反対を示し, 対案として1969年1月に「 国立又は公立の学校の教育公務員の専門職としての職務の特殊性と 高度の責任にかんがみ、これに教職特別俸給調整額を支給する」 方針を掲げたことが,給特法を巡る議論の端緒である。
 自民党文教族の姿勢に対し、日教組が示した対応方針は「 労基法全面適用排除の方針を撤回させ、 教員に対しては超過勤務の命令が出せないよう法的措置をとらせる ことを前提として、超勤手当請求権を一時的に留保し、 包括超勤手当分として8%を支給させる」といったものであった。 しかし同時に日教組は, 自民党文教族案に対する対案提出の必要に迫られた。 1970年1月,日教組は、「① 測定可能な時間外労働に対しては超勤手当を要求、② 教育労働の特殊性にかんがみ、自主性、自発性、 創造性にもとづく時間外労働に対しては、定率(4~8%) の特別手当(調整額含む)を要求」, という二本立て要求を対案として提示した。 教育労働の一般性と特殊性の両立を求めるロジックであったといえ るだろう。
 しかし, 最終的に文部省の側から1970年2月に提出された給特法案は, 測定可能かどうかの区分を行なわず, 一律に調整額支給と労基法除外を行なうものであった。そのため, 日教組は法改正を要求するストライキを5月に決定するなど, 反対運動を展開した。国会でも三野党共同(社会・共産・公明) による修正案が出されるも,自民党強行採決が行われ, 5月24日,原案のままに給特法は成立することとなった。 ただし給特法の実施の在り方については, 法案成立後に日教組と文部省の間に交渉の機会ももたれている。 1971年7月には,日教組の槇枝書記長, 文部省の西岡政務次官両名の署名を含む合意議事録が成立し, 給特法問題の一応の決着が図られた。以後,日教組は, 合意内容に基づく各都道府県・職場レベルでの協定の締結と, 協定順守を求める運動を中心に, 継続的な超勤排除に取り組んでいくこととなった。
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あらためて、丸山先生、田中先生お疲れ様でした。